48.長崎(ながさき)に原爆(げんばく)を投下(とうか)したB29戦闘爆撃機(せんとうばくげきき)は・・・

昭和20年(1945年)8月9日、アメリカの戦闘機(せんとうき)B-29「ボックスカー」によって長崎(ながさき)に原爆(げんばく)が落とされたんだ。

アメリカ軍(ぐん)の報告書(ほうこくしょ)によると、当初(とうしょ)、8月6日の広島の次に原爆を落とす目標(もくひょう)は小倉市(こくらし)(=現在(げんざい)の北九州(きたきゅうしゅう)市)の予定(よてい)だったんだ。
でも、前の日にアメリカ軍が行った八幡(やはた)の空襲(くうしゅう)の煙(けむり)が残(のこ)っていて、目で見て確認(かくにん)して投下(とうか)することが出来なかったと書かれているんだ。

ところが、日本側(がわ)では、アメリカの戦闘機が小倉に向かっている情報(じょうほう)を知っていたんだ。

小倉には官営(かんえい)八幡製鉄所(やはたせいてつしょ)があって、戦争(せんそう)に必要な鉄鋼(てっこう)を作る重要(じゅうよう)な場所の一つだったんだ。
そこで、攻撃(こうげき)できないよう、八幡製鉄所でコールタールを燃やして煙幕(えんまく)を張(は)ったとしているんだ。それで、目標は長崎に変更(へんこう)されたんだ。

日本側は、暗号解読(かいどく)によって、事前に航路(こうろ)がわかっていたんだけど、なぜか、迎撃(げいげき)(=迎(むか)えうって攻撃すること)命令(めいれい)が出されなかったんだって。

終戦(しゅうせん)間際(まぎわ)に、日本軍諜報部員(ちょうほうぶいん)が書いた記録(きろく)にも、情報(じょうほう)が黙殺(もくさつ)(=知っていながら問題にしないで無視(むし)すること)されたと書かれているんだ。