38.北条早雲(ほうじょう そううん)は成り上がり者?

北条早雲(ほうじょう そううん)は戦国(せんごく)時代初期(しょき)の武将(ぶしょう)で、以前(いぜん)は、一介(いっかい)の素浪人(すろうにん)から戦国大名にまでのし上がった下剋上(げこくじょう)の典型(てんけい)、極悪非道(ごくあくひどう)なことも、平気で行っていた、とする説(せつ)が正しいと思われていたんだけど、その後の研究で違(ちが)っていたことが分かってきた人物だよ。

そもそも、「北条早雲」の名前でよくしられているんだけど、本人はそう名乗ったことはなく、「伊勢新九郎盛時(いせ しんくろう もりとき)」が本名なんだ。

祖父(そふ)の伊勢貞国(いせ さだくに)も、父の伊勢盛定(いせ もりさだ)も室町幕府(ばくふ)の重要(じゅうよう)な役職(やくしょく)に就(つ)いている名門だったんだ。

父は申次衆(もうしつぎしゅう)という役目で、その書状(しょじょう)が新九郎の身元の証拠(しょうこ)になったんだ。素浪人なんて、とんでもないね。

伊勢新九郎は、三浦(みうら)半島の豪族(ごうぞく)・三浦氏を滅(ほろ)ぼし、相模国(さがみのくに)を統一(とういつ)したときには、領民(りょうみん)から取る年貢(ねんぐ)の割合(わりあい)を緩(ゆる)めるなど、領民のために心をくだいていて、極悪非道というのも、あてはまらないと言われているよ。

伊勢から北条の名前になったのは、早雲の死後、子どもの北条氏綱(ほうじょう うじつな)の代になってからで、鎌倉(かまくら)幕府の執権(しっけん)(=鎌倉幕府の政治(せいじ)を統括(とうかつ)する役職(やくしょく))の北条氏とは全く関係(かんけい)ないんだ。