刀狩(かたながり)令(れい)というのは、農民(のうみん)や僧侶(そうりょ)に刀(かたな)・脇差(わきざし)・槍(やり)・弓などを持つことを禁止(きんし)したもの。
元は、僧侶などが武器(ぶき)を持つことで一揆(いっき)などをおこさせないためのものだったんだ。
一番有名な、天正(てんしょう)16年(1588年)に豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)が出した刀狩は、兵農分離(へいのうぶんり)(=武士(ぶし)とそれ以外(いがい)の人々(ひとびと)の身分を分けること。武士以外は刀を持ってはいけないと決めた)のためなんだ。
秀吉が石田三成(いしだ みつなり)へあてた朱印状(しゅいんじょう)には「刀類(とうるい)と銃(じゅう)の百姓(ひゃくしょう)の所持は日本全国に禁止(きんし)し没収(ぼっしゅう)した。
今後出羽(でわ)(=現在(げんざい)の山形・秋田)・奥州(おうしゅう)(=現在の福島県、宮城(みやぎ)県、岩手県、青森県)両国も同様に命じる」とあるんだ。
農民はこの時、全国的に帯刀(たいとう=刀を持つこと)が禁止されたように見えるよね。
でも、徹底(てってい)されなかったんだ。
狩猟(しゅりょう)のために銃(じゅう)が必要(ひつよう)な人もいるしね。
徳川家康(とくがわ いえやす)の時代の士農工商(しのうこうしょう)の身分制度(せいど)でも徹底されなかったよ。
完全(かんぜん)に農民の帯刀が禁(きん)じられたのは、五代将軍(しょうぐん)徳川綱吉(とくがわ つなよし)の時代になってから。
その時代には、狩猟などで使う銃も、村ごとに、鉄砲(てっぽう)なん挺(ちょう)を誰(だれ)が持っているということを明確(めいかく)にしてお奉行(ぶぎょう)様に届(とど)け出ていたんだ。
その古文書が今でも残(のこ)されているよ。