21.元寇(げんこう)の退却(たいきゃく)理由は台風?

モンゴル帝国(ていこく)と高麗(こうらい)が日本に攻(せ)め入っていた元寇(げんこう)。

これには、1274年の文永の役(ぶんえいのえき)と、1281年の弘安の役(こうあんのえき)があるんだ。

そのうち、文永の役では、日本軍(ぐん)が敗色(はいしょく)濃厚(のうこう)だったのに、なぜか元軍が一夜にして退却(たいきゃく)してしまったんだ。
その理由は、台風にあったから、という説(せつ)が多く言われていたんだけど、その時、台風は来ていないことが元軍の資料(しりょう)でわかったんだ。

公家(くげ)の広橋兼仲(ひろはし かねなか)の日記『勘仲記(かんちゅうき)』には、「賊船(ぞくせん)数万艘(そう)が海上に浮(う)かんでいたが、俄(にわ)かに逆風(ぎゃくふう)が吹(ふ)き来たり、本国に吹き帰った」とあるんだ。

戦いは旧暦(きゅうれき)の10月下旬(げじゅん)のことで、今の暦(こよみ)では11月。
気象学(きしょうがく)からの考えても、その頃(ころ)には台風は来ないし、『勘仲記』の記述(きじゅつ)も合わせて考えると、風が吹いたのは事実だろうけれど、それは低気圧(ていきあつ)によるシケ、もしかしたら木枯し(こがらし)1号かもしれないとしているよ。