3.本能寺(ほんのうじ)の変(へん)が起きた理由はなに?

京都の本能寺(ほんのうじ)にいた織田信長(おだ のぶなが)を、家臣(かしん)(=家来)の明智光秀(あけち みつひで)が裏切(うらぎ)って襲(おそ)った本能寺の変(へん)。

その本当の動機(どうき)については、さまざまな説(せつ)があるんだ。

その中で「石谷家(いしがいけ)文書」が見つかったことで、四国の長曾我部元親(ちょうそかべ もとちか)に関(かか)わりがあるという説が急浮上(きゅうふじょう)してきたんだ。

光秀が長曾我部に信長と仲間(なかま)になるよううまく話を進めようとしていたんだけど、それがうまくいかずに、その間に入っていた光秀はひどく傷(きず)ついて裏(うら)切られたような気持ちになったことが原因(げんいん)かもしれない、と言われているよ。

まだまだ、分からない事が多いから、これからもっと古文書が見つかれば、本当の事が分かってくるかもしれないね。